2014/04/27

クイーンエリザベス2世カップ結果・レース回顧

オーデマ・ピゲ・クイーン・エリザベス2世カップ(G1)結果
Audemars Piguet Queen Elizabeth II Cup   愛彼女皇盃
4月27日(日) シャティン競馬場 2,000m(芝) 

※ 馬齢は主催者発表のものを記載しております。 ※ 着差は1着馬からのものです。 ※ 126lbs=約57kg
レース映像はJRAホームページからご覧ください

        

レース回顧

 レース当該週に入って毎日のように雨が降ったが、当日は良く晴れて気温も上がり、Good でスタートした馬場コンディションも、第3競走からGood to Firm となった。

 

 10頭立てとなった中、香港G1・香港クラシックC(芝1800m)、香港G1・香港ダービー(芝2000m)を連勝してここへ臨んだ今季の4歳2冠馬デザインズオンローム(せん4、父ホーリーローマンエンペラー)が2.2倍の1番人気。日本から遠征した昨秋のG1・菊花賞(芝3000m)勝ち馬エピファネイア(牡4、父シンボリクリスエス)が3.2倍の2番人気。前年に続くこのレース連覇を狙うミリタリーアタック(せん6、父オラトリオ)が3番人気に推された。

 

 伏兵のセイムワールド(せん6、父ホークウィング、99倍の8番人気)がハナを切り、1番枠から出たアンコイルド(牡5、父ジャイアンツコーズウェイ、75倍の7番人気)は鞍上K・ティータンが押して3番手の好位を確保。人気馬は、エピファネイア4番手、ミリタリーアタック5番手、デザインズオンローム8番手という隊列となった。

 

 

 

 4コーナーを廻り、一旦は先頭を窺いかけたのがエピファネイアだったが、残念ながらそこからの脚がなく、残り250m付近からは内を抜けたミリタリーアタックと、外を伸びたデザインズオンロームの争いに。最後は力でねじ伏せるように、外のデザインズオンロームが内のミリタリーアタックに首差先着して優勝。ジョン・ムーア厩舎の1・2フィニッシュとなった。前走G1・ドバイデューティーフリー(芝1800m)2着の南アフリカ調教馬ウェルキンゲトリクス(牡4、父シルヴァーノ、9.6倍の5番人気)が、2着馬から2馬身差の3着。エピファネイアは3着馬から更に2馬身遅れた4着に終わり、前日豪州シドニーのG1・オールエイジドS(芝1400m)を制したハナズゴール(牝5、父オレハマッテルゼ)に続く、日本馬による2日連続海外G1制覇はならなかった。3~4コーナー中間で手応えのなくなったアンコイルドは10着に敗れてる。

 

 このレースが国際競走になった95年以降で、香港ダービー馬が同一シーズンにこのレースを制したのは、05年のヴェンジェンスオヴレイン、11年のアンビシャスドラゴンに次いで史上3頭目のことだ。香港における2000m路線が今後、デザインズオンロームを中心に廻っていくことは間違いなさそうである。手綱をとった豪州人騎手のトミー・ベリーは、昨年のこのレースをミリタリーアタックに騎乗して制しており、ジョン・ムーア調教師ともども、2年連続制覇を果している。  

 

2014/04/23

クイーンエリザベス2世カップ展望

 当初出走を予定していた、前走G1・ドバイシーマクラシック2着のシリュスデゼーグルや、昨年のG1・香港カップ勝ち馬アキードモフィードらが回避。レイティング的に地元香港のミリタリーアタック(せん6、父オラトリオ)1頭が抜けた存在となった。


 昨年は、ここを制した後にシンガポールのG1・インターナショナルカップ(芝2000m)も制している同馬、実力もコース実績も申し分のない馬だが、気懸りなのは臨戦態勢だ。


 前走はドバイに遠征し、3月29日にメイダンで行われたG1・ドバイワールドカップ(AW2000m)に出走。英国のオッズで1番人気に支持されたものの、結果は10着という大敗に終わっている。初めて体験した、タペタというブランドのオールウェザートラックが合わなかったことが敗因であったにせよ、異なる環境で不慣れな馬場を走り、不本意なパフォーマンスをしてから4週間で迎えるこのレースに、万全の体調で臨めるかどうかは大きな懸念材料だ。事実、ドバイ帰りでこのレースを勝った香港調教馬は過去1頭もいないという、前走G1・ドバイシーマクラシック(芝2410m)5着のドミナント(牡6、父カシーク)ともども、いやなデータも残っている。

 

 早くからここを春の大きな目標に掲げ、ひと叩きされて本番という理想的な臨戦態勢で迎えるのがエピファネイア(牡4、父シンボリクリスエス)だ。今年のドバイにおける日本馬2勝の事実を挙げるまでも無く、芝中距離路線における日本馬の能力の高さは世界の競馬関係者が認めるところで、昨年の3歳3冠で2着、2着、1着と極めて安定した成績を残した実力は、このメンバーに入っても充分に通用するはずだ。切れよりパワーを要求されるシャティンの馬場も合いそうで、ここは勝機と見る。

 

 ジャスタウェイの強さばかりが目立ったG1・ドバイデューティフリー(芝1800m)だったが、G1・BCフィリー&メアターフ勝ち馬ダンク以下を完封して2着を確保したウェルキンゲトリクス(牡4、父シルヴァーノ)のパフォーマンスも、例年なら勝ちに等しい立派なものだった。右回りの2000mは、地元南アフリカでG1を制している舞台で、この馬がエピファネイアにとって最大の敵になりそうだ。

 

 地元勢で注目したいのが、今年の香港4歳2冠馬デザインズオンローム(せん4、父ホーリーローマンエンペラー)だ。スケールの大きな競馬をする馬で、相手は一気に強化されるが、今後の香港中距離路線の動向を占う上でも、この馬がどんなパフォ-マンスをするかは大きな関心事である。

 

 昨年のG1・香港カップ2着馬トウケイヘイローと差の無い競馬をしていること、ドバイでウェルキンゲトリクスを6馬身1/4ちぎったジャスタウェイと、昨年の天皇賞(秋)で6馬身+首差の競馬をしていること、などを考えると、アンコイルドも争覇圏に入っておかしくない1頭である。

2014/04/18

香港競馬・クイーンエリザベス2世カップ

 世界各国のほとんどの競馬開催国と同様、香港における最初の競馬も英国からの移民によって催されている。時に、香港が英国の領有下となって3年後の1845年、中国産のポニーを使って競馬が行なわれたと記録されているから、1862年に横浜で行われたのが最初の日本より、香港における競馬の歴史は長いのである。

 

 翌1846年にはハッピーヴァレイ競馬場が完成。ようやく見つけた広くて平らな場所が沼地で、自分たちの住宅建設が捗捗しくは進んでいなかったにもかかわらず、総出で水抜きに精を出し馬場を造成したという、英国人の競馬好きがしのばれるエピソードが残っている。

 

 統括団体の香港ジョッキークラブが設立されたのが1884年で、20世紀に入るとオーストラリアからのサラブレッド輸入が始まり、徐々に近代競馬の仕組みが整えられていったが、競馬が香港における重要な産業となるまでの繁栄を見せはじめたのは、エリザベス女王が後援者となり、統括団体の名がロイヤル香港ジョッキークラブと改められた、1960年以降のことだった。

 

そのエリザベス女王が、夫君のエディンバラ公とともに香港を御訪問されたのを記念し、1975年5月5日にハッピーヴァレイ競馬場で催されたのが、第1回クイーンエリザベス2世カップ(QEIIC)である。

 

香港では現在、国際格付けを与えられた重賞が年間で9競走施行されているが、その全ての舞台となっているシャティンが開場したのが1978年10月で、翌年からはクイーンエリザベス2世カップもシャティンに移行。もっとも当時は、クラス1ないしはクラス2に属する馬たちによるハンデ戦に過ぎなかった。

 

 香港における初めての国際競走となる香港招待カップ(現在の香港カップ)が施行されたのが1988年で、クイーンエリザベス2世カップにも外国調教馬枠が設けられ国際競走として生まれ変わったのが、その7年後の1995年だった。この年、日本からフジヤマケンザンが参戦。前年の香港国際カップに続く2度目の香港遠征だった同馬は、この時10着に敗れたが、その年の暮れに赴いた3度目の香港でフジヤマケンザンは香港国際カップに優勝。1959年にハクチカラがワシントンバースデーHを制して以来実に36年振りとなる日本馬による海外重賞制覇が達成され、その後の日本馬海外雄飛のきっかけとなった。

 

 クイーンエリザベス2世カップは1999年に、国際G2の格付けを獲得。同時にこの年から、スイスの時計メーカー・オードマピゲがレースのスポンサーとなり、現在まで16年の長きにわたり後援し続けている。2001年に国際G1に昇格。その翌年の2002年に、エイシンプレストンが日本勢として初優勝。この時は2着にアグネスデジタルが入り、日本馬による1・2フィニッシュが達成された。003年もエイシンプイレストンが勝ち、レース史上唯一となる連覇を成し遂げている。また2012年にはルーラーシップが、日本馬としては2頭目(3度目)の優勝を果している。
  

1959年(昭和34年)東京生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和 57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後 イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。