優駿回想

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ナリタブライアン
夏の函館競馬といえば、2歳戦スタートの場所。毎年8月には、JRA最初の2歳重賞、函館2歳Sが行われる。
 その函館でデビューし、スーパーホースの名をほしいままにしたナリタブライアンは、JRAが2000年に実施したファン投票「20世紀の名馬 Dream Horse 2000」において、堂々第1位に支持された。その世紀の名馬の足跡を以下にたどってみよう。
     
  1991年5月3日生
牡 黒鹿毛
父:ブライアンズタイム
母:パシフィカス
母の父:ノーザンダンサー
馬主:山路秀則
調教師:大久保正陽(栗東)
生産者:早田牧場新冠支場(北海道新冠町)
競走成績:21戦12勝
総収得賞金:10億2691万6000円
 



 続くレースは第61回日本ダービー。もはや敵なしと見られたナリタブライアンは17番ゲートの外枠を引いたが、問答無用の大本命に推された。単勝支持率61.8%はハイセイコーの66.6%に次いでダービー史上2位。
 ナリタブライアンは外の7番手につけてレースを進め、3〜4角の中間あたりで最初のスパートをかける。最後の直線が長い東京芝コースで、ここからまくって勝つのは至難の業。しかし、仕掛け早に見えたのもなんのその、大外を回って直線に向いたナリタブラインは、一瞬外へよれてヒヤリとさせたが、すぐ体勢を立て直すと、無人の荒野を行くがごとく、圧倒的パフォーマンスでクラシック2冠を達成した。2着のエアダブリンに5馬身の差をつけ、晴れ、良馬場の勝ちタイム2分25秒7はダービー史上3位の好タイム。単勝1.2倍はシンボリルドルフの1.3倍を下回り、ダービー史上で最も安い単勝配当となった。この記録は11年後の2005年、ディープインパクトの1.1倍に破られるが、今なお歴代2位である。
 ダービーのあと北海道で英気を養ったナリタブライアンは次いで菊花賞トライアルの京都新聞杯に出走する。かつて1983年に3冠馬ミスターシービーが敗れたレース。ナリタブライアンは、記録的な猛暑もあって強い追い切りを控えての出走で、多少の不安があった。果たして、中団の外からよく伸びたものの、内をすくったスターマンにクビ差及ばず、2着に敗れた。
 それでも“3冠達成”への信頼は揺らぐことなく、第55回菊花賞では単勝1.7倍の断然人気に支持される。レースでの強さが、また圧倒的だった。4番ゲートから出て内の7番手に控えると、2周目の3角を過ぎて外へ出し、まくるように上位へ進出。残り250mで先頭に立つと、あとは差を開く一方。2着のヤシマソブリンに7馬身の大差をつけた。
 シンボリルドルフ以来10年ぶり、史上5頭目の3冠達成だ。小雨、稍重のコンディションにもかかわらず、勝ちタイムの3分04秒6は、前年に兄のビワハヤヒデがマークした菊花賞レコードを0秒1更新する素晴らしさだった。
 皐月賞が3馬身1/2、ダービーは5馬身、そして菊花賞が7馬身。3冠の着差は順次開いて、合計15馬身1/2にも達する。これは歴代の3冠馬で断然の着差。史上6頭目の3冠馬ディープインパクトでさえ、合計9馬身1/2にとどまっている。
 すでにダービーの時、南井克己は「自分が乗ったうちで1番強いんじゃないか」と語っていた。南井が乗った馬にはオグリキャップも含まれていることを忘れてはならない。菊花賞を7馬身差で勝って、南井の言葉に一層の重みが加わった。
 3冠を掌中にした大久保正陽は「感無量です。こういう馬に巡り会えたことが私の勲章です」と喜びを語った。
 菊花賞のあとはジャパンCをパスして有馬記念へ。ここでもナリタブライアンの強さは際立っていた。同じ旧4歳の名牝ヒシアマゾンに3馬身の差をつけ、単勝1.2倍の断然人気に応えた。冬晴れの中山競馬場に、“ピンク地に紫山形一文字”の山路秀則の服色が鮮やかに映え、1994年の有終の美を飾った。この年のJRA年度代表馬とベスト旧4歳牡馬に選ばれたのは言うまでもない。
 なにしろ、これだけの名馬である。3冠レースなどG1を5勝。この先さらにいくつも大レースを勝つに違いない・・・。
 そんな思いは、残念ながら実現することはなかった。翌1995年の初戦に選んだ阪神大賞典(GII)では、単勝1.0倍の賭けにならない1本かぶりの人気となり、後続を7馬身ち切って英雄健在を印象づけた。
 しかし、このレース後に疲労蓄積が原因とみられる脚部異常が認められ、精密検査で右股関節炎と判明、ヒーローの行手に暗雲がたちこもる。春の天皇賞は当然、無理。北海道で夏場を過ごしたあと、秋の天皇賞で復帰したが、体調整わず、サクラチトセオーの12着に完敗した。
 主戦の南井が落馬で右足を骨折したため、このときの騎手は的場均だった。続くジャパンCは武豊に乗り替わり、ランドの7着。有馬記念も武豊が乗って、多少の復帰気配を見せたものの、マヤノトップガンから3馬身1/4差の4着どまり。もはや以前の神々しいまでの英雄の姿はどこにもなかった。
 それでも、旧6歳の1996年になって、ナリタブライアンは一瞬の光芒を取り戻す。前年と同様、まず阪神大賞典に向かうと、2周目の3角過ぎからマヤノトップガンの外に馬体を併せ、壮絶な追い比べ。歴史に残る名勝負の末、アタマ差でライバルを撃破した。騎手は武豊。
 これが最後の勝利だった。続く天皇賞・春は南井騎乗でサクラローレルの2着。1200m戦への出走で物議をかもした高松宮杯は武豊で4着。その後、1996年6月に右前屈腱炎を発症、10月に引退が決まった。通算21戦12勝、収得賞金10億2691万6000円はメジロマックイーンを抜いて当時の歴代1位となる。
 ナリタブライアンは内国産史上最高の20億7000万円でシンジケートが組まれ、97年から新冠のCBスタッドで種牡馬入りした。その後、98年6月に腸閉塞を発症。いったん持ち直したが、9月27日に胃破裂のため無念の安楽死となった。産駒はわずか2世代だけ。重賞勝ち馬を出せなかったのは残念というほかない。
 ナリタブライアンは他のどの馬よりも英国の名馬ミルリーフ(英ダービー・キングジョージ・凱旋門賞)に似ていた。追われると地の果てまでも伸びていく。終盤のスピードの持続力がケタ違いだった。中型馬なのも同じ。白いシャドーロールも同じ。
 名馬は死なない。ファンの心にいつまでも生き続けるのだ。(文中敬称略)
(石川ワタル)
前編にもどる
1994年5月29日(日) 3回東京4日
第61回東京優駿(日本ダービー)(GI) 芝2400m
1994年11月6日(日) 1回京都2日
第55回菊花賞(GI)芝3000m
1994年12月25日(日) 5回中山8日
第39回有馬記念(GI)芝2400m
1996年3月9日 1回阪神5日
第44回阪神大賞典(GII)芝3000m
在りし日のナリタブライアン

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年月日 レース名     距離 騎手 人気 着順 HIGH
(会員向け)
LOW
(無料)
1993. 8.15 新馬   函館 1200m 南井克巳 2 2
8.29 新馬   函館 1200m 南井克巳 1 1
9.26 函館3歳S GIII 函館 1200m 南井克巳 2 6
10.24 きんもくせい特別   福島 1700m 清水英次 1 1
11. 6 デイリー杯3歳S GII 京都 1400m 南井克巳 2 3
11.21 京都3歳S   京都 1800m 南井克巳 1 1
12.12 朝日杯3歳S GI 中山 1600m 南井克巳 1 1
1994. 2.14 共同通信杯4歳S GIII 東京 1800m 南井克巳 1 1
3.27 スプリングS GII 中山 1800m 南井克巳 1 1
4.17 皐月賞 GI 中山 2000m 南井克巳 1 1
5.29 東京優駿 GI 東京 2400m 南井克巳 1 1
10.16 京都新聞杯 GII 阪神 2200m 南井克巳 1 2
11. 6 菊花賞 GI 京都 3000m 南井克巳 1 1
12.25 有馬記念 GI 中山 2500m 南井克巳 1 1
1995. 3.12 阪神大賞典 GII 京都 3000m 南井克巳 1 1
10.29 天皇賞・秋 GI 東京 2000m 的場均 1 12
11.26 ジャパンC GI 東京 2400m 武豊 1 6
12.24 有馬記念 GI 中山 2500m 武豊 2 4
1996. 3. 9 阪神大賞典 GII 阪神 3000m 武豊 2 1
4.21 天皇賞・春 GI 京都 3200m 南井克巳 1 2
5.19 高松宮杯 GI 中京 1200m 武豊 2 4

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