未来に語り継ぎたい名馬
ドラマティックホース
オグリキャップ
1990年 有馬記念
1985年3月27日生 牡 芦毛
父 ダンシングキャップ
母 ホワイトナルビー(父 シルバーシャーク)
馬主/小栗孝一氏 → 佐橋五十雄氏 → 近藤俊典氏
調教師/鷲見昌勇(笠松) → 瀬戸口勉(栗東)
生産牧場/稲葉不奈男氏(北海道・三石町)
通算成績/32戦22勝(うち地方12戦10勝)
主な勝ち鞍/88・90有馬記念(GI)
90安田記念(GI)
89マイルチャンピオンシップ(GI)
88・89毎日王冠(GII)
88高松宮杯(GII)
88ニュージーランドT4歳S(GII)
89オールカマー(GIII)
88京都4歳特別(GIII)
88毎日杯(GIII)
88ペガサスS(GIII)
馬名の由来:冠名+父名の一部
40代以上が支持層
●走り、根性には脱帽でした(60代・男性)
●引退レースの有馬記念には何度も泣かされた(60代・男性)
●競馬ブームを作った功績は大きい(40代・男性)
●オグリが作った語り尽くせないほどの数々のドラマを永遠に語り継いでいきたい(40代・男性)
●岐阜県民としては、オグリ抜きに語れない!(40代・男性)
●オグリを知って競馬ファンになりました。現役で走っている姿を見てみたかったです(10代・女性)
その走りは限界を超えて だから感動に包まれていた
その死後に作られたオグリキャップの等身大銅像は、北海道新冠町の優駿メモリアルパークにある。有名な「サラブレッド銀座」の先、奥まった一角だ。
銀色に輝く馬像は、深みある夏の青空によく映えるが、冬晴れの午後にも美しい。今、あたりは雪に覆われ、人影はない。共に過ごした時間を思い起こすには、ぴったりの状況かもしれない。
感動のラストランは1990年、突然の他界は2010年だった。いくら「稀代の人気馬」とはいえ、引退からすでに20年近くが経過していた。にもかかわらず、馬像建立のための募金にはのべ1274人が名を連ね、2831万円が集まったという。おまえ、やんなるほど凄いね。ふと歩き出しそうな馬像に向かい、競馬オヤジはそうつぶやくしかない。
年代別のランキングを見て欲しい。
筆者と同じ、オグリをよく知る40代以上は、どの年代もディープインパクトに次ぐ第2位に推している。それはつまり、とてつもない感動を受け取った証拠にほかならない。オグリと共有した時間は、競馬好きにとってはずっと宝物であり、今も何かを語りかけてくる。競走成績で勝る馬はほかにいても、オグリを知る者の中で、そうした馬たちにオグリが負けることはない。忘れようにも忘れられない存在、それがオグリキャップなのだ。
笠松から中央に移籍し、いきなりの重賞6連勝。3歳秋のタマモクロスとの激闘。さらに「平成の三強」と呼ばれたイナリワン、スーパークリークとの死闘。
続く4歳秋、マイルチャンピオンシップからジャパンCへの驚愕の連闘策。そしてジャパンCで記録した、これまた驚きの2分22秒2という世界レコード。
さらに5歳、あらためて強さを示した安田記念のレコード勝ち。なぜか、そこからの不振。そして、「走らせては可愛そう」と、言われながらも迎えた最後の有馬記念。見せた意地と根性。観衆の涙。
だが、読者よ許せ。事実をいくら並べたところでオグリの凄みは伝わらない。彼はいつも限界まで、いや限界を超えて走っていた。歯を食いしばって走っていた。見る側にそれがわかったからこそ、オグリのレースはあり得ないほどの感動に包まれたのだ。だから、一人一人が、彼の走りをもう一度見つめ直すしかない。
そして、見終えたなら、もう一度言おうか。ありがとう、と。
(文=河村清明)