未来に語り継ぎたい名馬
センセーショナルクイーン
ウオッカ
2007年 日本ダービー
2004年4月4日生 牝 鹿毛
父 タニノギムレット
母 タニノシスター(父 ルション)
馬主/谷水雄三氏
調教師/角居勝彦(栗東)
生産牧場/カントリー牧場(北海道・静内町)
通算成績/26戦10勝(うち海外4戦0勝)
主な勝ち鞍/09ジャパンC(GI)
08・09安田記念(GI)
09ヴィクトリアマイル(GI)
08天皇賞・秋(GI)
07日本ダービー(JpnI)
06阪神ジュベナイルフィリーズ(GI)
07チューリップ賞(JpnIII)
馬名の由来:酒の一種
女性からの支持を集める
●ダイワスカーレットとの壮絶なレースが今でも忘れられない(20代・男性)
●記録もすごいが魅せ方はもっとすごい。中央競馬の看板女優と呼ぶに相応しい(40代・女性)
●こんな女に私はなりたい。牝馬でありながら時に牡馬以上に強く、逞しいウオッカは私の憧れ(30代・女性)
●牝馬のダービー制覇はすごい事だと思います!(40代・女性)
●スター性と輝きにあふれ、元気をもたらせてくれた(60代・女性)
印象的なレースでの勝利で 自身の敗戦を帳消しにしていった
64年ぶりに牝馬のダービー馬となったウオッカは6歳の春まで現役をつづけ七つのGI に勝った。そのうち牝馬限定戦はふたつしかなく、古馬になってからも根幹距離である1600メートル、2000メートル、2400メートルの最高峰、安田記念、天皇賞・秋、ジャパンカップに勝っている。この3レースを制した馬はあとにもさきにもウオッカしかいない。
こうして成績を振り返ると最強馬の称号さえ得てもおかしくないほどの名馬なのだが、ウオッカのユニークなところは、生涯16敗もしているところだ。6着以下も5回を数える。
負けが多かったのはつねに高いレベルのレースに挑みつづけた結果なのだが、一方では、弱点の多い馬でもあった。右回りが不得手なのか、小回りコースでは力を出せないのか、最後は東京競馬場ばかり走っていた。三度のドバイ遠征では4戦してGI 4着が最高の成績だった。
小さな疾病にも悩まされた。3歳の夏には蹄球炎でフランス遠征を断念し、秋はエリザベス女王杯を右寛跛行で出走を取り消している。ジャパンカップを勝ったときに鼻出血し、規定によって有馬記念に出られず、翌春のドバイでふたたび鼻出血して引退が決まった。
それでもウオッカはいつも印象的なレースで重ねた敗戦を帳消しにした。日本中を驚かせたダービー。長い写真判定の末に勝利をつかんだ天皇賞・秋とジャパンカップ。7馬身差で独走したヴィクトリアマイル。絶望的な状況から逆転した二度めの安田記念。それぞれがベストレースにあげられる走りだった。
もうひとつ、ウオッカの魅力はオーナーブリーダーのカントリー牧場にある。先代の谷水信夫氏の時代にはハードトレーニングで知られ、タニノハローモア(ダービー)やタニノムーティエ(皐月賞、ダービー)、タニノチカラ(天皇賞・秋、有馬記念)兄弟などを輩出し、二代めの谷水雄三氏はタニノギムレット、ウオッカの父仔でダービーに勝った。年間の生産頭数が十数頭の牧場から4頭のダービー馬がうまれたのは日本競馬の奇跡だった。
しかし カントリー牧場も12年に閉鎖となった。ウオッカは現在アイルランドで母親になっているが、わたしたちは、かつてカントリー牧場という魅力的な牧場があったと、ウオッカの子孫をとおして語り伝えていかねばならない。
(文=江面弘也)