未来に語り継ぎたい名馬
その走りは永遠の風
サイレンススズカ
1998年 宝塚記念
1994年5月1日生 牡 栗毛
父 サンデーサイレンス
母 ワキア(父 Miswaki)
馬主/永井啓弍氏
調教師/橋田満(栗東)
生産牧場/稲原牧場(北海道・平取町)
通算成績/16戦9勝(うち海外1戦0勝)
主な勝ち鞍/98宝塚記念(GI)
98毎日王冠(GII)
98金鯱賞(GII)
98中山記念(GII)
98小倉大賞典(GIII)
馬名の由来:父名の一部+冠名
30代までが中心支持層
●毎日王冠は圧巻としか言いようがありません(30代・男性)
●逃げて突き放す。競馬の理想を貫いた馬(60代・男性)
●第2のサイレンススズカの出現をいつも期待して新馬戦を観戦しています(40代・男性)
●金鯱賞は鳥肌と笑いが出た唯一の衝撃レース(30代・男性)
●天皇賞・秋でゴールしていたら、タイムは一体いくつだったのか…(20代・女性)
●種牡馬になっていたら…の思いが消えません(90代・男性)
今でも色褪せることのない記憶 そして誰も超えられない存在
10年から12年に活躍したイギリスのフランケルは、成績はもちろんだが、何よりその走りが歴史的怪物だった。自厩舎のペースメーカーでさえ付いていけないスピードで逃げて、そのままぶっちぎる。そんな究極の競走馬ともいえる姿を見て、しかし日本のファンが思い出したのは少し前の、別の馬のことだった。
まるでサイレンススズカだ、と。
今ではもう15年以上も前のことになってしまった。でもその記憶はまったく色あせない。いつだって、僕たちの「最強馬」の基準にはサイレンススズカがいた。ある意味、誰も超えられない存在として。
まだスピードという名の才能を持て余す子供だった3歳時、快走と暴走は同じコインの表と裏だった。そんな身体と気性のバランスが取れた瞬間、とてつもない競走馬が誕生することが稀にある。最近ではオルフェーヴルがそうだった。サイレンススズカにとってのそれは、4歳となったタイミングでやって来た。鞍上には前走から武豊騎手が迎えられていた。
バレンタインS、中山記念、小倉大賞典。すべてスタートからゴールまで、後続に影も踏ませぬ逃げ切り勝ち。続く金鯱賞は、そんな完成期に入ったサイレンススズカを象徴するようなレースだった。4コーナーで早くもスタンドから拍手と歓声が巻き起こる、荒唐無稽とすらいえるぶっちぎり劇。平地重賞の「大差」勝ちは、このレースを最後に出ていない。
宝塚記念では、結果的に唯一となるGI勝ちを収めた。しかし名勝負として今も語り継がれるのは、むしろ次の毎日王冠の方だ。1歳下のエルコンドルパサー、グラスワンダーを相手にハイペースで逃げて突き放す、文字通りの完封劇だった。
自身の「名作」の数々がGIではなくGIIにあるというのは、いかにもサイレンススズカらしい。競馬の勝ち負けと、「表現者」としての達成の奇跡的な一致を、そこには見ることができる。
天皇賞・秋は、そんなサイレンススズカの「最高傑作」になるはずだった。少なくとも3コーナーまでは誰もがそう予感していた。でも、そうはならなかった。
あのまま走り続ければ、どんな勝ち方をしたのか。海外遠征も含め、どんなレースを走り、いくつの勝利を重ねたのか。そして、どんな凄い種牡馬になったのか。
答えはすべて、僕たちそれぞれの、胸の中にだけある。
(文=軍土門隼夫)