未来に語り継ぎたい名馬
ターフに降臨した「皇帝」
シンボリルドルフ
1985年 有馬記念
1981年3月13日生 牡 鹿毛
父 パーソロン
母 スイートルナ(父 スピードシンボリ)
馬主/シンボリ牧場
調教師/野平祐二(美浦)
生産牧場/シンボリ牧場(北海道・門別町)
通算成績/16戦13勝(うち海外1戦0勝)
主な勝ち鞍/84・85有馬記念(GI)
85ジャパンC(GI)
85天皇賞・春(GI)
84菊花賞(GI)
84日本ダービー(GI)
84皐月賞(GI)
85日経賞(GII)
84セントライト記念(GIII)
84弥生賞(GIII)
馬名の由来:冠名+神聖ローマ帝国の皇帝ルドルフ1世より
50代と60代の評価が高い
●無敗の三冠馬、危なげない勝ち方、憎たらしいほどの強さ、これぞサラブレッドの宝(50代・男性)
●皇帝の称号を持つ馬こそ至高!(40代・男性)
●気品と風格と強さが名馬の条件であるならルドルフがまさにそれにあたる(60代・男性)
●「競馬に絶対があった!」初めてそう思わせてくれた(50代・男性)
●とにかく美しく強かった(50代・男性)
●ミドルエイジ・ファンからすれば、1位は彼だけ(50代・男性)
理想の横綱像を体現した 唯一無二の絶対的王者
シンボリルドルフは横綱である。たんに強かったから、頂点に君臨したから横綱というのではない。横綱に求められる資質をシンボリルドルフほど兼ね備えていた馬はいないように思えるからだ。
大相撲の横綱が、品格をうんぬんされたり、手刀の切り方からタオルの使い方まで事細かに取り上げられるのは、求められるものが、たんに勝負の結果だけではないからだろう。
立ち居振る舞いから相手への配慮、日常の言動などが、伝統的な規範にのっとったものかどうかが問われる。そんな地位である。結果だけが問われるチャンピオンとは明らかに違う。
シンボリルドルフはそんな横綱の条件にぴったり当てはまった。強者であることはいうまでもない。しかし、敗れた時でも常に堂々としていた。
シンボリルドルフは国内で2度敗れているが、敗因ははっきりしていた。ジャパンカップの時は内臓の不調で下痢をして、明らかにコンディションが整っていなかったし、4歳の天皇賞・秋のときは繋じん帯の故障からようやく立ち直ったばかりで、ステップレースも使うことができず、ぶっつけで臨んだものだった。ともに並みの馬なら出走することすら危うかっただろう。
だが、その条件でも大敗することなく、最強馬の面目を保った。勝つ時はだれでも輝いて見える。人も馬も同じ。負けた時、苦境の時こそ真価を問われる。その点、シンボリルドルフが見せた苦境の時のパフォーマンスは、横綱と呼ぶにふさわしいものだった。
ダービーの時、スパートしようとした岡部幸雄騎手を制するようになかなか動き出さず、申し分ないタイミングで動き出して、名手にレースを教えたといわれる。我慢のたいせつさを身を持って示す。我慢、忍耐、辛抱。いずれも平成になってからは影が薄い価値観だが、「我慢がたいせつ」と教えるダービーのエピソードも、横綱と呼ぶにふさわしい。
のちにディープインパクトが登場して、ほぼ拮抗する成績を残した。これからもシンボリルドルフに並ぶ、あるいはしのぐ馬が出るかもしれない。
だが、昭和の価値観とぴったり寄り添い、人々が求める横綱像を体現して見せたシンボリルドルフのような馬は二度と現れることはないだろう。
(文=阿部珠樹)