未来に語り継ぎたい名馬
奇跡を起こした気高き「帝王」
トウカイテイオー
1993年 有馬記念
1988年4月20日生 牡 鹿毛
父 シンボリルドルフ
母 トウカイナチュラル(父 ナイスダンサー)
馬主/内村正則氏
調教師/松元省一(栗東)
生産牧場/長浜牧場(北海道・新冠町)
通算成績/12戦9勝
主な勝ち鞍/93有馬記念(GI)
92ジャパンC(GI)
91日本ダービー(GI)
91皐月賞(GI)
92大阪杯(GII)
馬名の由来:冠名+帝王
40代の男性票が多数
●皇帝から帝王へ。私の中では絶対に揺るぎない存在(40代・男性)
●スター性・ドラマ性・カリスマ性を持ち合わせたトウカイテイオーが一番(40代・男性)
●弾むような歩様、飛ぶような走り、今までの競馬歴の中で見た事がない(50代・男性)
●テイオーが起こした有馬記念での奇跡の復活。何度見ても感動し、グッと胸に迫ります(30代・女性)
●一目ボレ。気品があり美しくかわいい馬でした(60代・女性)
振幅の激しい軌跡の最後には 積み重なった運命の機微が
皇帝と呼ばれた父の足跡をなぞるように達成した無傷の二冠制覇。「世紀の対決」に敗れてから描いた振幅の激しい軌跡。ダービーを制した初めての名牝ヒサトモから引き継がれてきた母系の血。運命的としか表現しようがない誕生秘話。あるいは独特すぎるほどの歩様と気品に満ちた佇まい。トウカイテイオーには語り継ぐべきポイントがいくつもある。
しかしハイライトといえるレースをひとつあげるなら、やはり有馬記念をおいて他にあるまい。364日のブランクを乗り越えてつかんだあの勝利がなければ、この馬の“印象点”はだいぶ変化していたに違いないからだ。
ではなぜ、トウカイテイオーは1年もの休養を挟んで有馬記念へ駒を進めることになったのか。そもそもの始まりは11着に大敗した1年前の有馬記念で、伏線となったのがジャパンCである。「史上最強軍団」と称された外国馬を降して大きな勝利をつかんだトウカイテイオーだが、激走の反動により体調は下降線を辿り、有馬記念には完調手前の状態で出走。そのためもあってトモの踏ん張りがきかず、スタート直後に腰の筋肉を傷めてしまったことが直接的な敗因だった。
放牧による休養を経て、栗東に帰厩したのは翌年の3月初旬。しかし春の最大目標に掲げられていた宝塚記念の直前に3年連続の骨折が判明する。故障が癒えて栗東に戻ってきた秋、天皇賞は日程的に厳しく、すでに手中に収めているジャパンCに陣営は魅力を感じなかった。ならばというわけで有馬記念に照準を絞って調整されることが決まる。「1年のブランクは気にならなかった。キッチリ仕上げればいきなりから力を出せることは分かっていたからね」とは当時の松元省一調教師のコメント。4歳の春、10カ月の休養明けで大阪杯を楽勝した自信と、ジャパンCを制したことで生まれた“心のゆとり”が背景にはあった。
ただ、実はこのとき、水面下では種牡馬入りの道も模索されていた。結果的には価格が折り合わなかったため、現役続行が決まったものの、もし交渉がまとまっていれば有馬記念参戦は見送られた公算が高い。様々な運命の機微が積み重なって開いた364日のブランク。だがそれを乗り越えて手にした勝利は、〝不屈〟の2文字に彩られた後半生を締めくくる鮮やかなエンドマークになった。
(文=石田敏徳)