未来に語り継ぎたい名馬
世界へと羽ばたいた翼
エルコンドルパサー
1998年 ジャパンカップ
1995年3月17日生 牡 黒鹿毛
父 Kingmambo
母 サドラーズギャル(父 Sadler's Wells)
馬主/渡邊隆氏
調教師/二ノ宮敬宇(美浦)
生産者/Takashi Watanabe(米国)
通算成績/11戦8勝(うち海外4戦2勝)
主な勝ち鞍/99サンクルー大賞(仏GI)
98ジャパンC(GI)
98NHKマイルC(GI)
99フォワ賞(仏GII)
98ニュージーランドT4歳S(GII)
98共同通信杯4歳S(重賞)
馬名の由来:曲名「コンドルは飛んでいく」より
30代、40代の男性に人気
●世界への扉を開いた日本競馬の至宝(30代・男性)
●どのレースを見ても圧巻の走り。名馬はデビュー戦から違う(20代・女性)
●やっと顕彰馬と認められて嬉しい(30代・男性)
●凱旋門賞で日本馬でも勝ち負けになる事を見せてくれた(40代・女性)
●芝ダート、国内外を問わず活躍し、日本のレベルアップに貢献した(40代・男性)
●夢を見させてくれた長期海外挑戦など後世に残した実績は輝かしい(30代・男性)
長期フランス遠征を敢行 凱旋門賞2着で世界的評価を得る
信じられない位置から追い込みを決めた新馬戦、無敗対決を制したNHKマイルC、エアグルーヴやスペシャルウィークらを子供扱いして3歳で優勝したジャパンC……。エルコンドルパサーの語り継ぎたい話は山ほどある。しかし、1999年のキャンペーンは、それらの偉業もほんのちょっとのエピソードに変えてしまう。その年、凱旋門賞に挑戦することになったエルコンドルパサーは4月には既に現地入り。トリコロールの旗の下、約半年に及ぶ大挑戦劇を展開したのである。
今でこそ当たり前になった感のある日本馬の凱旋門賞挑戦。しかし、当時はまだ珍しいものだった。エルコンドルパサーが挑む以前、10月のロンシャン2400メートル、すなわち凱旋門賞に出た馬は、86年のシリウスシンボリ。実に13年も遡らなければならず、それ以前となると更に14年前、72年のメジロムサシまでいない。そもそも日の丸を背負って出走した馬はエルコンドルパサーが僅か4頭目であり、過去の3頭、すなわちスピードシンボリ、メジロムサシ、シリウスシンボリはいずれも大敗を喫していた。
まだ日本と世界の間に大きな隔たりがあったそんな時代に、いきなり凱旋門賞で2着に好走したのだから、エルコンドルパサーがいかに偉大な実力の持ち主で、馬主の渡邊隆氏をはじめとした同馬を取り巻く人達が果敢な挑戦を試みたかが分かるだろう。
99年、フランス入りしたエルコンドルパサーは現地で2戦目となるGI・サンクルー大賞を制覇。前年にシーキングザパールとタイキシャトルがいずれもかの地でGI を制していたが、2400メートル路線では初めてとなる偉業をいとも簡単に達成してみせたのだ。
秋にはフォワ賞を勝利し、凱旋門賞には有力馬の1頭として出走。結果、斤量差のある3歳馬モンジューの末脚の前に2着に敗れたが、堂々と逃げ、3着以下を突き放した(6馬身差)レースぶりは世界を震撼させ、今も破られていない日本馬としては最高の134というレーティングを獲得。年度代表馬に選出された。
種牡馬としては3世代しか産駒を残せなかったが、その中からヴァーミリアン、ソングオブウインド、アロンダイトなど、芝、ダートを問わずGIホースを世に送り込み、早世が惜しまれた
(文=平松さとし)