師走の中山競馬場で、幾多の好レース、名勝負が繰り広げられてきたグランプリ・有馬記念。その陰には様々なエピソードも数多くあった。
今年の大一番を前に、そんなドラマを読み返しておこう。 ※馬齢はすべて現在の表記です

1956年 メイヂヒカリ

亡き馬主に捧げた第1回グランプリ制覇

 記念すべき第1回の優勝馬。そんな“栄誉”の陰で、メイヂヒカリには秘めたドラマがあった。
 父はダービー馬で現役引退後、内国産種牡馬として初のリーディングサイヤーとなったクモハタ。メイヂヒカリはデビュー前から注目を集めた良血馬だった。ところが7戦6勝の成績で迎えた春のクラシックは皐月賞直前に故障を発症、長い休養生活を余儀なくされた。そして秋に復帰を果たすとクラシック最後の一冠、菊花賞でダービー馬オートキツに10馬身もの大差をつけて圧勝。“幻の三冠馬”と称えるファンも大勢出現した。
 翌年、天皇賞・春も2着馬に5馬身の差をつけて楽勝。名実ともに現役最強の座に就いた。その2カ月余り後、彼の馬主だった新田新作氏が死去。愛馬に特別な思いを抱いていたことを知る遺族は葬儀にメイヂヒカリを参列させ、当時、大きな話題を呼んだ。そして彼の引退レースとなったのが、この年に創設された有馬記念(当時は中山グランプリ)。1番人気に支持されたメイヂヒカリは直線入口で先頭に立ち、そのまま日本レコードタイムで優勝。
 レース後、この馬なら外国遠征に出ても恥ずかしくない成績を残せると現役続行を希望する関係者の声もあったが、新田氏の後を引き継ぎオーナーとなった妻の松江さんは、夫の「メイヂヒカリはこの年限りで引退させる」という意向を守り、多くのファンから惜しまれつつ現役生活に別れを告げた。

広見直樹=文
text by Naoki Hiromi