師走の中山競馬場で、幾多の好レース、名勝負が繰り広げられてきたグランプリ・有馬記念。その陰には様々なエピソードも数多くあった。
今年の大一番を前に、そんなドラマを読み返しておこう。 ※馬齢はすべて現在の表記です

1984・85年 シンボリルドルフ

祖父の才能を受け継ぎ、祖父以来の連覇

 シンボリルドルフは日本の海外遠征のパイオニア和田共弘氏(シンボリ牧場)と野平祐二調教師のコンビが長い時間をかけてつくりだした最高傑作である。
 和田氏と野平氏は馬主と騎手という立場のときから親好があり、ともに憧れ、目標でもあったヨーロッパの大レースにスピードシンボリで挑んでいる。そして、そのスピードシンボリの娘に、和田氏が輸入した種牡馬パーソロンを種付けし、誕生したのがシンボリルドルフとそのきょうだいだった。
 ただ、素質はルドルフ以上と言われた兄のシンボリフレンドも、フランスでデビューした姉のスイートコンコルドも、激しい気性が大成を阻んでしまったが、ルドルフには内在する狂気を自制できる力があった。それはまさに祖父のスピードシンボリから受け継いだ才能なのだが、有馬記念の2連覇もスピードシンボリ以来の記録となった。
 1984年。史上初めて無敗の三冠馬となったシンボリルドルフは、体調の不備もあってジャパンカップで初めての敗戦(3着)を喫したが、有馬記念ではジャパンカップで逃げ切りを許したカツラギエースをマークし、直線でしっかりと捉えた。  さらに翌年の有馬記念では1歳下の二冠馬ミホシンザンに4馬身の差をつけ独走する。
 祖父とは対照的に楽々と有馬記念を連覇したシンボリルドルフは、5歳の春に、生まれたときからの目標だった海外遠征に出たのだが。

江面弘也=文
text by Koya Ezura