師走の中山競馬場で、幾多の好レース、名勝負が繰り広げられてきたグランプリ・有馬記念。その陰には様々なエピソードも数多くあった。
今年の大一番を前に、そんなドラマを読み返しておこう。 ※馬齢はすべて現在の表記です
日本の競馬を語る時、絶対に外せない名馬シンザン。そして有馬記念の歴史を語るとき、絶対に外せないレースもシンザンの勝った1965年の有馬記念だ。
セントライト以来23年ぶりの三冠馬となったシンザンは古馬となっても、その勢いは止まらなかった。
その彼が最初のタイトルとして狙いを定めたのが天皇賞・春だったが、体調が万全ではなく断念し、宝塚記念に照準を変えて勝利。
秋。迎えた天皇賞・秋。正攻法ではシンザンに敵わないと思ったのか、加賀武見騎乗のミハルカスが大逃げの戦法をとる。が、直線、差は徐々に縮まり、ゴール前ではきっちりと差し切り。奇襲戦法は実らなかった。
そして有馬記念。ここでも加賀とミハルカスは大博打を打った。
シンザンに無理やり不安材料を探せば、ここまで主戦ジョッキーだった栗田勝騎手から松本善登騎手に手替わりしたこと。さらに、コンディションの悪い馬場の内側を走ること。
逃げたミハルカスは直線に入ると迫ってくるシンザンをインコースに入れるために外へと進路をとった。しかし、シンザンはミハルカスよりもさらに外のコースを選択。それはほとんど外ラチすれすれの、テレビカメラでは捉えられないコースを通り、ミハルカスを差し切った。「シンザンが消えた」という実況放送はいまでも語り草になっている。さらにレース後、松本騎手の「彼(シンザン)が外を回れと言ってくれた」というコメントも忘れられない。
広見直樹=文
text by Naoki Hiromi