師走の中山競馬場で、幾多の好レース、名勝負が繰り広げられてきたグランプリ・有馬記念。その陰には様々なエピソードも数多くあった。
今年の大一番を前に、そんなドラマを読み返しておこう。 ※馬齢はすべて現在の表記です

2000年テイエムオペラオー

年間負け知らずの8連勝、快挙達成の裏側

 豪快なまくりで制した皐月賞以降、勝利に見放されていたテイエムオペラオーは2000年、前年の借りを返すかのように完璧なレースぶりで勝ち星を積み上げていった。2月の京都記念を皮切りに、春秋の天皇賞、宝塚記念、ジャパンCと、GⅠ4勝を含む7連勝を記録。まさに無敵の快進撃だった。
 しかし、その記念すべき年の掉尾を飾るべき1戦として臨んだ有馬記念で思わぬ苦戦を強いられる。好スタートをきったテイエムオペラオーだったが、1周目の4コーナーで他馬に体をぶつけられて一気に位置取りを下げると、周りを囲まれて身動きがとれなくなってしまったのだ。スローペースのまま流れたレースは2周目の4コーナー手前からペースが上がったものの、オペラオーの進路はなお塞がったまま。まさに絶体絶命のピンチである。しかし直線坂上で進路が開くや、末脚が爆発。一気に馬群を突き抜けて奇跡的な勝利を遂げ、GⅠ5勝を含む8戦全勝でこの年を締め括った。
 実はその日の朝、オペラオーは暴れた馬に驚いて顔面を壁に強打。片目が塞がるほど腫れあがって、一時は出走回避を検討するほどのアクシデントに見舞われていたのだという。それが関係者の口から語られたのは後年のことだったが、あの驚異的なパフォーマンスがトラブルのなかで発揮されたということを知るにつけ、その年のテイエムオペラオーの、他馬とは次元を異にした強さを改めて感じるのである。

三好達彦=文
text by Tatsuhiko Miyoshi