日本ダービーこと東京優駿は、競馬における最高峰の戦いであり、その栄光を手にした人馬は例外なく我々に希望や感動を与えてくれる。近年の勝ち馬を振り返ってみても、そこには様々な物語が存在していた。

抵抗できる馬などいない “最強馬”に相応しい圧勝劇

ディープインパクト

この時点で“最強馬”の呼び声も高かったディープインパクトが、まさに飛ぶような走りで無敗の二冠馬に輝いた一戦。ダービー史上最高の単勝支持率73.4%に相応しい、2着に5馬身差をつける圧巻の走りだった。

もう二度とないのかもしれない幸福感に溢れたゴールシーン


 最終的に、ディープインパクトの単勝支持率は73.4%に達していた。もちろんオッズは元返し寸前の1.1倍。それまでのダービー史上最高は「元祖アイドルホース」ハイセイコーが73年に記録した66.6%だった。31年間もの長きにわたって破られてこなかった記録を、ついに、しかも大きく上回ったのだ。この後も三冠制覇、まさかの敗戦、凱旋門賞挑戦と、数多くの勝利とドラマを重ねていくヒーローの存在は、ダービーの時点ですでに社会現象以外の何ものでもなくなっていた。

 ここまでの4戦、早くもディープインパクトを日本競馬史上最強馬と断じる気の早い声があがるほど、そのハイパフォーマンスは常軌を逸していた。

 デビュー戦にして上り3ハロン33秒1という驚愕の速力を披露した新馬。

 離れた最後方から差して5馬身ちぎる、異次元の末脚で驚かせた若駒S。

 粘るアドマイヤジャパンに着差こそクビだったが、じつは最後まで武豊騎手はムチを使わず、余裕を持ったままでの差し切りだった弥生賞。

 そしてスタート直後に躓き落馬寸前になりながら、そこから唯我独尊的な走りで2馬身半差で完勝した皐月賞。

 その皐月賞後のインタビューで武豊騎手は「走っているというより飛んでいる感じ」とその乗り味を表現した。そしてこの言葉は、ディープインパクトの走りを表す代名詞のようになっていく。のちにJRA競走馬総合研究所も、この「飛ぶような走り」を科学的に分析しようと試み、話題となった。

 そして迎えたダービー。ディープインパクトは、いつものように直線で外に出されると、まさに飛ぶように、一気に突き抜けた。ゴールまで独走するその時間は、過去のどんなダービーにもなかった種類のものだった。これほどまでに予定調和的で、これほどまでハッピーエンドな幸福感に溢れたダービーのゴールシーンなど、もしかしたらもう二度とないのかもしれない。

 73年、ハイセイコーは歴史的な支持を集めながら、そのダービーで3着に敗れた。その敗戦はしかし、ハイセイコーのアイドルホースとしての物語の重要な一部として受け入れられ、機能していくこととなる。

 その約15年後。やはり国民的アイドルホースとして愛されたオグリキャップは、地方競馬出身でクラシック登録自体がなされておらず、ダービーには出られなかった。いや、むしろダービーに出られないこと自体が、オグリキャップのアイドルとしての人気に火をつけた。そんな側面も確かにあった。

 しかしディープインパクトは違った。歴史を塗り替えるような期待に応え、ダービーを圧勝してみせた。

 だからディープインパクトは、日本競馬史上初めて、ダービーを勝ったアイドルホースだった。そんなふうにも言えるのかもしれない。