日本ダービーこと東京優駿は、競馬における最高峰の戦いであり、その栄光を手にした人馬は例外なく我々に希望や感動を与えてくれる。近年の勝ち馬を振り返ってみても、そこには様々な物語が存在していた。

歴史が音を立てて動いた“常識”を覆す牝馬戴冠

ウオッカ

桜花賞で2着に敗れた前年の2歳女王ウオッカがダービーに参戦。上り33秒0の末脚で直線を駆け抜け、並み居る牡馬を相手に3馬身差の快勝。戦後初、中央競馬史上3頭目、64年ぶりとなる牝馬の戴冠だった。

世界中で牝馬たちが常識外れの偉業を成し遂げ始める“きっかけ”


 その瞬間、まさに歴史が動いた。

 はるか戦前のクリフジ以来、64年ぶりに牝馬がダービーを勝った。もちろんそれはとんでもない出来事なのだが、でもその勝利はたんなる1つのレースの結果ではなく、もっと大きな流れを象徴しているような予感に満ちていた。ウオッカが先頭でゴールした瞬間、僕たちの中では時計の針がカチッと音を立てて一つ進み、そしてそれはもう二度と戻ることはなかったのだ。

 桜花賞でダイワスカーレットに敗れたというのに、オークスでの再戦ではなくダービー挑戦の道を選んだ陣営へは、当時、少なからず懐疑の視線も向けられた。無理もなかった。牝馬のダービー出走自体がもう10 年間途絶えていたし、好走例なんて46年前のチトセホープの3着くらいまで遡らないと見つからなかったからだ。

 でも、ダービーの直線で外からただ1頭、本当に別の世界にいるような脚で抜け出して後続との差を広げていった姿が、すべてを黙らせてしまった。

 ああ、これは本物だ。牡馬を相手に勝ったから偉いとか、そういう次元にこの馬はいない。誰もがそれを悟った。

 そして、まるでこのウオッカのダービー制覇を待っていたかのように、世界中で「本物」の牝馬たちが常識外れの偉業を成し遂げ始めた。

 アメリカではウオッカと同世代のゼニヤッタが、牝馬として史上初めてブリーダーズCクラシックを勝った。その2歳下のレイチェルアレクサンドラは、じつに85年ぶりの牝馬によるプリークネスS制覇を成し遂げた。

 フランスのザルカヴァは牝馬としては15年ぶり、3歳牝馬としては26年ぶりに凱旋門賞に優勝。するとその後の5年間ではデインドリーム、ソレミア、トレヴと3頭の牝馬の凱旋門賞馬が誕生している。またザルカヴァと同じ歳のゴルディコヴァは、08年から10年までブリーダーズCマイルを3連覇し、欧州最多記録のGⅠ14勝を挙げた。 国内でも同じだった。ダイワスカーレットが、ブエナビスタが、ジェンティルドンナが、それまでの牝馬では考えられなかったような活躍で、日本の競馬シーンの中心を担った。誰よりウオッカ自身が、果敢なチャレンジとドラマチックな走りで「牝馬の枠」を超えた感動をファンに与え続けた。

 調教技術の進歩だとか斤量差が有利に働いているだとか、急激な牝馬の躍進にはそれなりの理由はあるはずだ。いずれにせよ僕たちは、そういうことにすっかり慣れてしまった。そして時計の針は、もう二度と戻らないのだ。

 すべては、谷水雄三オーナーと角居勝彦調教師の決断から始まった。07年ダービーのゲートが開く前と、そしてゴールの後では、すべての競馬ファンの目に映る風景がガラリと変わった。その狭間の2分24秒5は、まさに「歴史」が動いた瞬間そのものなのだ。