日本ダービーこと東京優駿は、競馬における最高峰の戦いであり、その栄光を手にした人馬は例外なく我々に希望や感動を与えてくれる。近年の勝ち馬を振り返ってみても、そこには様々な物語が存在していた。

“雑草”と“苦労人”が掴んだ これ以上ない栄誉

メイショウサムソン

6番人気だった皐月賞から、ここでは堂々1番人気のメイショウサムソン。ゴール前での狙い澄ました差し切り勝ちは、着差以上に強さが光った。鞍上の石橋守騎手はデビュー22年目での嬉しいダービー優勝だった。

無駄な力を使うつもりはないと言わんばかりの余裕のゴール


 地味な血統背景と、ダービーが11戦目という叩き上げ的なキャリア。そして21年間でGI 勝ちは一つもなしという、腕の確かさに比して華やかな実績を持たない苦労人ジョッキー。エリート的なものとは正反対な要素だらけのメイショウサムソンが、春の二冠馬に輝いた年だった。

 メイショウサムソンのそんなイメージは、同世代のフサイチジャンクと好対照を成していた。当時史上最高額の3億3000万円で購買され、馬名の由来となったテレビ番組で盛んに取り上げられていたフサイチジャンクは、デビュー4連勝で皐月賞へ。しかしメイショウサムソンの3着に敗れ、評価と運命は逆転した。

 プロフィール的な印象と同様に、メイショウサムソンはそのレースぶりや勝ち方にも、派手なものが一切なかった。ダービーでも5番手から抜け出すと、逃げ粘るアドマイヤメインをゆっくり追い詰め、残り200メートルでようやく前へ。あとは無駄な力を使うつもりはないと言わんばかりの余裕のゴール。クビ差だが、まさに着差以上の強さを見せつけた。

 ちなみに小倉デビュー馬のダービー制覇はこれが史上初であった。そんなデータまで、いかにも彼らしいと思わせる、そういうダービー馬が生まれた年だった。